編集者 樺井良祐さん インタビュー

   

樺井さんの発行しているフリーペーパー。
名:「毬」
コンセプト:贈る
素材:一枚のあたたかい紙
執筆者・挿絵:全国にいる女性
編集長:樺井良祐さん

毎号「年齢」「違い」「流れ」のようにテーマに決め、
全国にいる女性執筆者が寄稿する。

樺井さん、執筆者の手によって折られ、
みなさんの手で全国各所に置かれ、
あらゆる人の手に渡り、
言葉が贈られる。

「毬」の中の言葉は、“情報”ではなく
受け取ったメッセージや感情、考えは、
心にとどまるだけでなく、流されたり、自由に変形する。
誰宛でもなく、誰宛でもある「手紙」のような。

「毬」は消費のための情報ではない

―編集者になろうと思った理由、きっかけを教えてください。

以前、京都の人たちとミニコミ誌を作っていたんですが、みんなお互いにやりたいことがあって集まっただけのメンバーだったので、そのまま続けていくのが難しくなって、13号まで出してやめることになったんです。すると、「もう、作らないの?」「どうしたの?」と色んな方から言われて、期待してもらってるんだなと感じたんです。それだったら、何かしたいなと思って、周りの人の期待に応えるかたちで、フリーペーパーを始めました。

―フリーペーパー「毬」創刊時のお気持ちは?

9年前なのであまり覚えてないんですけど、ミニコミ誌をやめてから再出発という気持ちで、ワクワクしていました。京都に「paper」というフリーペーパーがあって、すごくいいフリーペーパーだったんです。それは確か、HIVの問題などを中心にしていたもので、内容がすごく良かったので、そういうフリーペーパーを目標に作りました。

今まで、フリーペーパーというと、宣伝のようなものが主流だったんですが、そのフリーペーパーを見て、「フリーペーパーってこういうことだったのか」というのが分かったんです。こういうことができるのかと。それが、「毬」を作るきっかけにもなったと思います。

コンセプトは自分で考えたものなんですけど、フリーペーパーという形をとったのは、その「paper」のおかげかなと思います。企業や行政が発行しているもの以外で、8、9年続いているものって本当に少ないと思うんですよ。だから、頑張って続けて、書いている人たちが喜んでくれるように、注目されるように頑張るのが僕の役割かなと思います。

元々、僕は物作りをしてきた人間なので、自己表現したい人間なんですけど、フリーペーパーに関しては、文章を書かずに縁の下の力持ちに徹したいと思っています。それが、役割でもあるし、続けていくためのコツだと思いますね。

樺井良祐

コンセプトは自分で考えたものなんですけど、フリーペーパーという形をとったのは、その「paper」のおかげかなと思います。企業や行政が発行しているもの以外で、8、9年続いているものって本当に少ないと思うんですよ。なので、頑張って続けて、書いている人たちが喜んでくれるように、注目されるように頑張るのが僕の役割かなと思います。

元々、僕は物作りをしてきた人間だったので、自己表現したい人間だったんですけど、フリーペーパーに関しては、文章を書かずに縁の下の力持ちに徹したいと思っています。それが、役割でもあるし、続けていくためのコツだと思いますね。

―「毬」のスタイルを教えてください。

今一般にフリーペーパーと呼ばれているのは、大手の企業が作っているフリーペーパーだと思われていますが、あれは、フリーペーパーではなくて、雑誌、広告紙、情報紙だと思っています。大手の作っているものには、表現がなく消費のための情報だったりするので、それをフリーペーパーだと思われていることに、ちょっと残念な気持ちがあったんです。

一見、フリーペーパーがたくさん発行されていて、活気があるようにみえるんですが、実は衰退していると思っていて、「毬」でやろうとしているのは、大手企業がしていることとは正反対のことなんです。まず、お金をかけない、広告は取らない、デザインに凝らない、というところかな。

女性の肩の力の抜けた柔らかい文章が「毬」の特徴

―執筆者は女性だけにしているということですが、なぜでしょうか?

ミニコミ誌のときの反省もあるんですが、「何でもとりあえず、表現すればいい」としていると、結局、お互いの“表現の入れ物”になってしまう。人に読んでもらうためには、雑誌でもなんでもコンセプトが大事だと思うので、まずは、それを最初に考えなくてはいけないなと思いました。

女性だけの執筆者にしているのは、深い意味はあまりないんですが、男性の書く文章は堅くて理屈っぽい印象があるんです。できるだけ、たくさんの人に読んでもらおうと思って作り始めたので、女性の肩の力の抜けた柔らかい文章でいきたいなと。それと、女性だけに絞ることで、特徴ができるので、「毬」のスタイルの一つになると思いました。

等価交換でみんな自由を謳歌しているようで、幸せな顔をしている人が少ないと思う

―コンセプトは「贈る」ということですが、どのような想いが込められているのでしょうか?

「贈る」というのは深い意味があって、元々マルセル・モースの言葉で、それを説明するのは難しいので、違う角度からいうと、「贈る」と反対の言葉は、100円払うから100円のものをもらうという「等価交換」で、割り切った関係。

今の日本だけでなく、世界中が等価交換の時代になって、自分が払ったものに対して同じだけのものを返してもらわないと、関係が成り立たなくなっている。それは、それで大事なことなんですけど、それが社会を支配してしまうと、人と人の関係や心が澱んでしまうんです。それは、これからももっとひどくなっていくような気がしています。

メリットがないと何もしない、自分からは何もしない、もらうことはするけども与えない、というような感覚が広がっているし、実際に嫌な世の中になっているなと感じるんです。

それと、お金を払えばそれに見合うものが手に入るので、どうお金を使おうと自由だと、一見、みんな等価交換で自由を謳歌しているようで、幸せな顔をしている人が少ないと思うんです。本当にみんな幸せだったら、もっといい顔をしていると思うので、何か足りないものがあって、そういうものを大切にしたいなと思うんです。そのキーワードが、「愛」や「贈る」だと思っています。

―「毬」は樺井さんにとってどんな存在ですか?

色んな人と関わっていく内に分かってきたのは、これが自分に与えられた役割かなと思っています。誰かが担う役割ってありますよね。誰かがしないと動かない、進まないというような。それを誰がするかということだと思うんです。だから、僕以外の誰かがやってくれるかもしれないし、役割が移ってきたことだけのことかもしれない。

―創刊のときから変わったことはありますか?

すごくスムーズにきたので、あまり変わったことというのはなくて、少しずつ色んな人が関わって広がってきたことくらいかなと思います。多分、変わっていないということは、うまくいっているんだと思うんです。

「与える人」は、どんどん何かが出てくる

―今回の取材にあたって、過去の「毬」のブログを読ませていただきました。どの記事もたいへん興味深いものばかりで、ここからは、その内容について聞いていこうと思います。
「『与える人』は、辛い、悲しいなどのネガティブなものを抱えた人が多いように感じる」とありました。そのようなネガティブなものが、その人のアイディアの源や行動の原動力になっているようなことを感じることがあるのでしょうか?

そのブログを書いたときは、2つのことを思って書きました。一つ目は、ある知人の画家をイメージして書いていて、その画家は、人のために色んなことをしてくださるんですが、体が悪いかたでもあって。自分のことは置いても人のことをできる人は、「与える人」であっても、エネルギーに溢れているわけではないと思ったんです。自分はしんどいのに、人のためにエネルギーを使ってくれていると感じました。

二つ目は、それと反対のようなことなんですけど、人に与えるっていうことは、泉がどんどん湧いてくるようなイメージで、与えるときには、人には色んなものが湧いてくるんじゃないかと思う部分があって。

樺井良祐

例えば、先ほどの等価交換の話じゃないですけど、100円を払って、相手に100円の見返りを求めようとすると、そこで終わってしまいますよね。ということは、100円のものしか生まれない。100円のものしか自分のなかから涌いてこない。だけど、与え続けていると、どんどん、自分の中から出てくるものがある。そういうことじゃないかなと思いますね。

仕組みが違うというか、原理が違うというか。何か相手からメリットを求めたり、自分がこれだけのことをしたら、相手からこれだけのものが返ってこないといけないと思っている人には、それだけのものしか返ってこないと思うんです。自分の与えたものしか返ってこない。でも、「与える人」は、どんどん何かが出てくる、泉が涌いてくるんじゃないかという気もするんです。

―それは、執筆者に求めることに繋がりますか?

執筆者には、本当は求めている部分はあるんですけど、でも、そこまでは言わないですね。コンセプトの「贈る」という言葉を、それぞれに受け止めてもらって、表現していただいています。執筆者のかたには、あまり堅いことを言わずに書いてもらうようにしたいので。

大切なものを大切に

―「贈与の思想が社会を立て直す大きなツールになる」と書かれているかと思うのですが、それは、今後「毬」を通して実現したいことでしょうか?

大きなことを考えているわけではなくて、人の心も世の中もよくない状況になっていると思うので、それを、黙って見過ごすのは嫌だなと思うし、大切なことを大切にしたい。

「毬」は、大きなことを実現しようとしているのではなくて、大切なことは大切にし続ける、「毬」を発行し続けるのも目的の一つかなと思っています。

手の届く範囲じゃないとできないと思うんです。ローカルということでもないんだけど、「毬」のような活動は、インターネットを使わない人たちと動いたり、人との繋がりを広げながら執筆者が生まれたり、お店の方と直接会って手渡ししてお願いしたりとか、そういうこと自体が人と人の間に流れを生むことだし、大切なものを大切にするということだし、結果的に手の届く範囲の活動しかできないと思っています。

―紙の媒体にしたというのも、そういう理由からでしょうか?

ネットの世界は、どうしても冷たいし、本当の意味での繋がりが生まれにくいかなと思うんです。ネットで知り合う、その繋がり方とは違うものが必要だと思います。

一番良かったことは、メリットで動かない人たちと出逢えたこと

―「自分から動くことが大事」とありました。樺井さんは動くことで、どのような変化が起きましたか? また、起こりますか? 対外的なこと、精神的なこといずれもをお伺いしたいです。

自分から動くというときは、メリットがなくても動くということであって、理屈がないんです。さっきも話したように、役割だとか、自分の責任とか、そんな感じで、誰もしないのであれば、自分がやるしかないかなというような感覚です。

―それは、義務的な感じではなく、自然と動くという感じなのでしょうか?

自然も大切ですが、僕は、義務感も大事だと思うんです。メリットで動く人は、メリットがあることしかしないですよね? そうすると、できないことがいっぱいあるんです。自分から動く人がいれば、何か生まれたりするというのが一つあります。義務感と自然は両立すると思います。

「毬」もメリットで動く人たちとは一緒にやっていないんです。もし、そういう人たちとだったら、やっていても楽しくないし、続かない。

僕が自分で動き出して、一番良かったことは、メリットで動かない人たちと出逢えたこと。それは、すごく幸せなことです。それが、自分が動いて生まれたことかなと思います。

「毬」を9年間くらい続けていて、一度も無理をしたことがないんです。みんなが動いてくれて、自然にやってこれたということは、多分ですけど、そういうフリーペーパーは他にないと自負しています。

メリットで動かない人たちと出逢えると、世の中に対して絶望しなくてすむし、希望が持てるんです。お金のこととか、自分のメリットや自分がかわいい人と関わっていると、世の中って嫌だなと思えてきますしね。

自分がかわいいということから、いかに距離を置けるか、脱することができるかが現代人の課題

―「贈与」が大切だと思う理由の中の一つに「他人、身近な人に関心を持って、他人や社会に想いを巡らせることが必要」とありました。
「人に関心を持つ」というところにおいて、関心を持っているふりをして他人と接する、近づいてくる人がいると思うんですが、そのように、関心を持っているふりをしてでも、動くことは大事だと思いますか?

これも度合いの問題なんですが、恋愛にしても家族の中でも、どんなに親しい仲でもメリットを求めるという心が働いているのではないかと思うんです。簡単に離婚とか、ひっついたり別れたりというのを見ていて、自分のために相手と関わっている人が増えているような気がして、一番大事な恋愛の場面や家族の場面にも、そういう気持ちが入り込んでいるのが今の世の中だと思うんです。

自分がかわいいということから、いかに距離を置けるか、脱することができるかっていうのは、現代人の課題かなと思います。そういうものに対抗する言葉というのが「贈与」かなと。

樺井良祐

「関心を持っているようで持っていない」「自分にしか興味がない」「自分にメリットがあったり、自分に心地いい範囲で人と付き合う」「自分が不愉快に感じたら切ってしまう」。そういう割り切ったものがあるんじゃないかなと思うんです。

相手から求めるのではなくて、自分から与えるということを基本にしないと、与えられなければ関係が切れてしまう、というような世の中になってると思うんです。よく愛という言葉をみんな使うと思うんですけど、愛というものは、もらうものではなくて、まず与えるものだと思わないと、続かないし、まさに、「毬」にも書かれていますが、“to love than to be loved(愛されるよりも愛する)”というところにかえってくるのかなと思います。「贈与」と「愛」は、同じだと思っています。

創作活動ほど、成功とは対照的なものはないかもしれない

―「毬」の編集者以外にも陶芸家や写真の肩書きがありますか?、その中で「これで成功したい!」というようなお気持ちはありますか? もしくは、複数の仕事をすることで何か繋がりが生まれるのでしょうか?

まず、「成功」という言葉は嫌いな言葉で、その言葉を使うのは、恥ずかしくて照れくさい感じがするんです。どこかでそういうものを求めているのかもしれないけども、成功のためにやっていることは何もなくて、フリーペーパーで言えば、いいフリーペーパーを作りたい、質のいいまま、今のような感じで、誌面だけではなく人との関係も質のいい状態で作り続けたいなと思いますし、たくさんの人に読んでもらいたい、色んな人に喜んでほしい、いいフリーペーパーだなと言ってほしい、というのは、欲と言えば欲かなと思います。

それから、写真や陶芸の活動で言うと、成功したいと思って作っている人は、いるのかもしれないけど、やっぱりいいものを作りたい、美しいものを作りたいというのが、創作する人の喜びだから、成功とは正反対のものをしていると思います。創作活動ほど、成功とは対照的なものはないかもしれない。「毬」も成功とは正反対のものだと思っています。

人間の気持ちのエネルギーが高まってくるものはどんな形でも、“出してしまう”と“出てしまう”

―今回、過去のブログなどを読んでいて、樺井さんの文章は温かく、それこそ何かを「贈られてる」気持ちになりました。「毬」では、書かずに縁の下の力持ちということですが、今後、他に文章を書かれたりしないのですか?

ぼく自身が作ることに関しては、陶芸や写真で表現した方がいいと思っているんです。純粋に詩や物語を書く人は違うと思うんですが、エッセイなどを書くと気持ちが流れてしまうんです。気持ちが中途半端に解消されてしまうんです。

あるギャラリーのオーナーさんから、「文章を書くな」と言われて。ものを作っている人は、物作りで自分のエネルギーを出さないといけない、と。実際に本当にそうで、文章を書いてしまうと、どこか満足してしまうところがあって、少し創作意欲は減退してしまう気はします。文章という形でしか出せないものもあるけども、ものを作る人はあえて言葉を出さずにやったほうがいいのではないかなと思いますね。

人間というのは表現欲とか何か出さないといけないものとか、色んなものを抱えていて、それが強い人が物作りになりますよね? それって、色んな出し方があって、絵もあれば、陶芸もあれば、音楽もある。そして、文章もその一つに入ります。それで、何か抱えているものがあって、それを作品に全力で出すのが一番本当は良くて、ものを作りながら文章を書いたりしていると、自分の中にあるものが漏れ出すんです。それが、「もったいない」という風にみることもできる。

だから、創作活動をしてる人をずっと見てきた人から言われて、実際にはブログとかには書いていて垂れ流しているような気もするんですけど、本当はよくないなという部分もあるんです。

文章と、作品とは全然違う表現なんだけども、でも人間の気持ちのエネルギーが高まりはどんな形でも、“出してしまう”と“出てしまう”から。

美しさを求めて、毎日を生きているような気がする

―今までの人生の中で、感動した経験をお聞かせくた?さい。

美しい芸術作品を見たときと、美しい思想に触れたとき。音楽もそうですね。音楽でも思想でも共通して美しいものがあると思っています。

思想だったら、美しい考え方というのがありますよね。理路整然も美しさの一つではありますが、そうではなくて、なんて美しい考え方だと思うときがあって、そういうときは感動しますね。特定の思想ということではなくて、人間のものごとの考え方などに美しさが出ることがあると思うんです。

音楽は、よく感動しますね。僕は、シャンソンが好きなんですが、シャンソンを聞いていて感動することもあるし、シャンソンは、ドラマでもあって、その物語とメロディの組み合わせに感動することがあります。あと、タンゴも好きで、タンゴってパワフルな歌が多いんですけど、すごく美しいメロディがたまにあって、ハッとしたりすることがあります。

他には、抽象画を見ているときに、その画を別にいいとも思わなくて、よく分からない画だなと思って見ていたときに、突然お腹の底から喜びがこみ上げてきたことがあって、それが、僕の意識を通さずに、ダイレクトにどこかに届いたんだろうと思うんです。それを体験したときに、芸術の美ってこういうものじゃないかなと思いました。

そのときの感覚としては、「なんで、こんな喜びがこみ上げてくるんだろう」と自分で戸惑いました。「意識」ではなくて、「体」が反応した感じで。

それから、人もやっぱり美しい存在感の人が好きで、心が美しい人がいいし、佇まいも美しい人がいい。

美しさを求めて、毎日を生きているような気もします。美しいものに触れることで、生きる力になるし、嫌なことも我慢できるし。言葉で表せない感覚なんですが、言葉にすると「美しさ」かなと思います。

―ご自身を短い言葉で表すと何になるでしょうか?

「曖昧で現実感がなくて美を求めている」

あまり自分自身に関心がないので、考えつかないんです。現実感がないっていうのは、人からも言われることだし、自分が曖昧ではっきりしないから…でも、美だけは求めていることは分かる。

編集者 樺井良祐 プロフィール

編集者樺井良祐
フリーペーパー「毬」の編集長。
毎号テーマを決め年に数回発行される。
また、陶芸家やカメラマンの肩書きも持ち、アーティストとしての一面も。

樺井良祐(かばいりょうすけ)
BLOG:<http://plaza.rakuten.co.jp/fpmari/>

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